※本記事は「Positive Thinking x Critical Thinking」を元に、肯定も否定もせず「なぜいけないのか?」と「なぜいけないという認識が世間一般に浸透しているのか」を紐解いていきます。
こんにちは、猫島です。
誰しも、「ウワーもう無理だ!」と思ったこと一度くらいありませんか?
仕事が上手くいかない、恋人と別れた、生きてる意味がわからない…。
人によってはイジメや虐待で、小さい頃から「死」を意識して育ったりしてきたかもしれません。今回は、「自死はなぜいけない(とされているのか?)」に焦点を当てて執筆していきます。

一緒に考えていこう!
自死はなぜ行けないのか?
当ブログ運営者の猫島は特にいじめられたりした経験はありませんが、地味~に小学生くらいからずっと疑問で仕方がありませんでした。
「人は何のために生まれて、なんで生きるんだろう」。
親に話してみたこともあります。

ママ、どうして人は生きるの?どうして死ぬことは行けないの?

死んでしまったら、おいしいご飯を食べることも、大好きな友達と遊ぶこともできないんだよ。

死んだら何もできないけど、生きてたらきっと良いことあるんだよ。

でも死んだらゼロだし、ゼロなら「何かができない」なんて思うこともないよな。
人によっては、今が楽しくないのに、見えない未来に期待を抱けなかったりするんじゃないかな。

お父さんも、ねこ君が死んじゃったら悲しいなぁ。

なんで父親だけ犬なんだ
納得できる答えを得ることはできませんでしたが、友達と話してみたり、当時普及し始めたインターネットで色々調べてみて得られた自分なりの答えがこちら。

まぁ痛いの嫌だし、まだ子供だし。彼女とかもできたことないし、とりあえず20歳くらいまで頑張ってみるか!
自死を選んではいけない理由トップ3
一般的に浸透している「自死を選んではいけない理由トップ3」が以下。
1. 周りが悲しむから
2. 死んだら何もできないけど、生きてればいいことあるから
3. 命は尊いから
①に関していうと、「周りに悲しむ人がいなければ死んでもOK」という解釈ができるので、自死を選んではいけない本質的な理由になりえません。
②は、生きてても詰み状態の人からすると、ただの希望的観測になっちゃいます。
③に関していうと、少なくとも「人間の命」が尊くなったのは人類の歴史でいうと割と最近なので、普遍的な真理ではありません。日本でも中世期から「敵討ち」という言葉があり、結婚相手が浮気してたらその場で殺してもオッケーだったりしたんです。なのでNG。
ちなみに知恵袋などから集めた珍回答はこちら。
1. 人間は他の動物を殺して食べるのに、死んでしまうなんて自分勝手だから
2. 宗教的にアウト(地獄に落ちる)
3. 理由は特にないけどとりあえず死ぬのは絶対ダメ
まぁ、結局は価値観…って、あれ?なんかおかしくないですか?
したい人の立場に立った回答って基本的にないんです。
迷惑したり、悲しんだりするのは、基本的に周りの人で、
本人の立場になって考えられた回答ってほぼないんですよね。
考えてみればそうです。だって生きることそれ自体にロジックや本質があるわけではないので、生きる理由は人それぞれに自分で「付与」するのです。でも死にたい当人からしたら溜まったもんじゃないですよね。それが見つけられないから生きるのが嫌なのです。
周りにとっては嫌なことばかりですが、自分にとって嫌なことって、「痛い」くらいしかないんじゃないですかね?

「痛いから」が一個くらいあってもいいよね。
「氏ね」も「生きろ」も一緒
ここまででわかることは、
2.生きること自体に本質的な意味はない(自分で見つけていくもの)
僕は僕の人生しか生きることができません。「他人」の人生を生きていないので、他人の人生について責任は負いませんし、当然それに対してどやかくいうつもりもありません。最愛の人に「死のうと思ってる」って言われても、僕はめちゃくちゃ悲しいですけど、本人の命なのでその決断を尊重しようと思ってます。一切応援はしませんがね。
「氏ね」も「生きろ」も根本的には同じなんですよ。
自分のモノじゃない他人の命に対して、僕はそれをどうこうしろなんて指図するつもりは一切ありません。誰かに自分の命を捨てるようにも言わないし、逆に無理やり延命を強いることもありません。
ただ一つ、大切な人だったら僕は「愛している」ということだけは伝えようと思っています。
話は少し脱線しましたが、本題は「なぜ自死を選んではいけないのか?」ですが、より正しく表現すると、「なぜあまりにも多くの人が死に対してノーロジックで否定的なのか?」ということです。
ズバリ、答えは「社会秩序」にあります。
自死を肯定すると社会秩序が崩壊する

ママ、どうして人は自らの命を断ってはいけないの?

社会秩序が崩壊するからだよ

オォッ…!
どういうことか、詳しく説明していきます。
あらゆる自死は主張である
先程も触れたように、生きることに本質的な意味は備わってないんです。
ソクラテスとかニーチェとかデカルトとか、2000年くらい色んなおっちゃん達が自分の存在の意味について議論してきましたが、答えは見つかってません。見つかってたら自死を選ぶ人なんていないんですよ。
自分より100倍も頭いい人たちが何千年もかけて追求してるのに解けてないんだから、要は答えがないってことなんですよね。自分って決めろってことです。
でも、現代社会の多くの人が今でも「生きる意味」について悩んでる中で、僕が「生きる意味」を見つけられなくて、死んでしまったとする。
それって、社会に対して「生きる意味なんてないんだよ」という主張になっちゃうんですよね。
それを僕が望んだか望んでないかは別として、自死に根本的に潜むのはニヒリズム。何をやっても意味がないよっていう主張なのです。
自死は「呪い」である
ちなみにそれって残された人からすると、めっちゃくちゃ後味悪いんですよね。
まず第一に、まさに今「生きている」のに、「生きる」ということを否定されてるわけですから、最高に気持ち悪いんです。
バンド活動やってる人が「バンドかっこわりー」なんて言われてるようなものです。
そして第二に、「なんだこいつコンチクショー」って言い返す相手もいないんですよ。
だって死んでるんですから。叫んでも反論しても空虚に響くだけなんですよ。
喧嘩中の相手がいきなるフッと消えた時に残りそうな、ドロドロだけど空っぽな感じ。
言い返すこともできずに明日も自分は生きていかなきゃいけないこと。
これが自死の呪いです。
自死は社会秩序を崩壊させてしまう
「呪い」は大多数が自死を否定している状態じゃないと成り立ちませんが、
逆に大多数が自死を肯定した世界はどうなるか?
「生きることに意味はない」が常識の世界では自死だけでなく殺人も肯定されてしまいます。そして、文明も社会も発展しないんです。秩序が崩壊するからです。
僕は個人的に、あらゆる会話は社会秩序の存続が前提にあると思っています。
「あそこのレストラン行ってみようか~」
「電車乗ったほうが早いよ~」
こんなありふれた会話って、会話相手もそうだけど、社会を構成するあらゆる機関が存続する前提で話されますよね。めちゃくちゃ極端な話、レストラン経営者が近々死ぬかもしれないとか、電車の車掌が近々殺されるかもしれないとかだったら、成り立たない話です。
簡単な言葉でいうと、自死や殺人の肯定は「未来への期待が一切ない世界」を生み出します。
誰も働こうとしません。働いても意味ないからです。
なぜなら生きてる意味がないし、いつ死ぬかもわからないからです。
お金も貯めません。意味がないからです。
誰も愛そうとしません。意味がないからです。
会社も生まれません。意味がないからです。
「生きる」とは行為であり、人間のありとあらゆる行為は「生きる」という行為に包括されています。
したがって、「生きることの否定=自死/殺人の肯定」は「生きている間のあらゆる行為を否定」することになるわけですから、社会秩序を根底から覆すものになるんです。
だから多くの人が「死」を忌み嫌う。考えてみれば当然ですね。
ほぼ全ての国で殺人や自死が法律で禁止されているのは、その理由もあるのではないでしょうか。
※ちなみに日本では自死しても裁かれません。

本質的な理由があるとすれば、社会秩序の維持ってことだね。
じゃあどうすればいいの…?
でも今が辛い皆さんからすると、そんなことどうでもいいわけです。
「社会的秩序なんて知らねーよ!」って。
冒頭でも説明した通り、死にたい人からすると周りの意見なんてどうでもいいわけです。
だから、本人がどうしてももう無理であれば、止めることはできません。
奨励もしませんし、一切応援も手助けもしませんが!
諦めるのもアリだけど、一旦「構造」と「機能」を理解しておこう
僕は大学時代どん底に落ちた時、生きる目的や将来の夢が見つからなくて、死にたくて死にたくてたまらない時期がありました。死ぬことも少し考えてましたが、痛そうだったんでやめました。理由は単純でした。
1ヶ月弱くらい毎日泣いてて、どうしたらいいかわからなくて。生きるのも嫌だし、でも死ぬのも嫌だし。事故でも起きてくれないものかと本気で毎日考えていました。
そんな時に、なんとあの「Yahoo知恵袋」で納得する答えを見つけました。
以下、全文です(※めちゃくちゃ長いです)
なかなかロジカルなこと言ってませんかね?
僕は「周りが悲しむから」という理由より、こういう回答のほうが好きです。
好みの問題ですけどね!
今死にたい人に伝えたいこと
多分死にたくても死ねない人っていっぱいいると思うんですよね。
ってなると、生きていくしかないんですよね。
僕には「よっしゃ生きる意欲湧いてきたわ!」みたいなところまで導くことはできませんが、上の知恵袋の回答者みたいに、「機能(ロジック)」ではなく「作用(気分)」故に死にたいと思ってるってわかってるなら、気分の方に「行動」を通してアプローチしてみてください。
仕事休んで、可愛い動物と触れ合ってみてください。
しばらく会ってない友達と、焼肉でも食べに行ってください。
無理やりランニングでもして、たっぷり汗かいて銭湯でも行ってみてください。
少なくともその時は、「うわぁ死にたい!」なんて思ってないんじゃないですか?
それでも思い続けてしまうなら、僕はその意志を尊重しますよ。
でもそう思わない瞬間があるんだったら、もうちょっと待ってみてもいいかもしれませんね。
まとめ:答えは自分で見つけるしかない
以下、本記事のまとめになります。
・だけどみんな「死」は嫌いだし、自死なんてもってのほか。
・自死を選んではいけない理由があるとしたら、社会秩序の維持。
・死にたかったら「作用」に具体的な行動を通してアプローチする。
この記事を通して、死にたい人が少しでも共感してくれればいいし、自死に対して無条件に否定的な人の視野が広がればいいと思うし、こういう考え方もあるっていう話のタネ程度になればいいと思う。
生きるか死ぬか、正解はあなた次第。
悔いなきように!
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