こんにちは、ねこじまです。
「ダークツーリズム」という単語についてご存知でしょうか?
災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした観光のこと。ブラックツーリズム(英: Black tourism)または悲しみのツーリズム(英: Grief tourism)とも呼ばれている。
ダークツーリズムとは比較的新しい観光の概念で、広義には死や悲劇、災害などにまつわる観光のことを言います。

本記事では、
・そもそも「観光」という概念の発展
・ダークツーリズムの概要
上記についてわかりやすく紹介するよ!
観光の起源:実は現代人特有の現象?
そもそも「観光」と聞いた時、何を思い浮かべますか?
ハワイで一夏の思い出を求めて、ココナッツジュースをすすったり…
エッフェル塔を横目に恋人の町パリで素敵なディナーをしたり…
タイのトゥクトゥクに揺られて、下町を冒険したり…
従来の観光といえば、楽しさとか素敵な体験だとか、
「観光」という文字通り「光」の側面を強調するものが多いといえますね。
でも、観光とは実は娯楽以外の要素も多く含んでいる、もうちょっと複雑なもの。
ダークツーリズムを紐解く前に、観光の発祥起源について少し考えてみましょう。
観光の発祥は19世紀から
大規模な国外旅行としての「グランドツアー」発祥の地イギリス。
今やイギリスでは、「自由時間」の40%は旅行に使われていると言われています。
仕事と関係のない理由で、どこかへ出かけること。
何かにまなざしを傾け、一定期間滞在すること。
実はそのように、「労働(仕事)」と切り離された時空間で、何かを見るために季節を問わず出かけるという現象は、19世紀以降に発生したものなのです!
元々は、「巡礼」という宗教上の習慣としてしか、労働と別の理由で国外に訪れることはなかったんですね。
時は流れて21世紀。
旅行や休暇を必須だと感じること自体が、私たちが現代生活を営む上での決定的な指標にもなっています。
「休みが欲しい~」、「旅行したいな~」。
こんなありふれたフレーズが、実は現代的な言説を表しているものであり、同時に人々の肉体的・精神的健康が、「休養する」ことができさえすれば回復するという考えが根本にあることを語っていますね。
日本でも、総理府広報室実施の「今後の生活の力点をどこに置くか」というアンケートに対し、1983 年には食生活や住生活を抜いて「レジャー・余興生活」が第 1 位となっています。
つまり、第二次世界大戦でズタボロになった日本が高度経済成長を遂げた後は、
食べ物や住環境よりもいわゆる「娯楽」が重要になったということです!

観光は現代人が生きる上で欠かせない活動と言えるね。
ダークツーリズム:光と影、そして観光
ダークツーリズムは、文字通り「闇の観光」ということ。
物事には光と影の側面があり、個人レベルで例えるとわかりやすいかもしれません。
失恋は悲しいけど、その分前より素敵な相手に出会えるチャンスだったり、
就職が上手くいかなくても、その分自分の将来について深く考える癖がついたり。
逆に、世間一般で言う成功を手に入れたとしても、友人をなくてしまうなど、
「光に見えて影」の部分もたくさんあるわけです。
正と負の側面を持つ「空間」
「空間(地域・遺産)」も同じです。
地域や場所にも栄光を讃えるべき側面もあれば、その裏には厳しい現実と悲しみの記憶が必ず伴います。
平和の象徴とされる広島の原爆平和記念館も、血みどろな歴史があったり、
近代化を支えたとされる日本の足尾銅山も、強制労働による犠牲のもとに成り立っています。
ダークツーリズムと「不謹慎」は違う?
「ダークツーリズム」は欧米発祥の新しいタイプの観光形態です。
言ってしまえば、レジャーを目的とした従来型の観光の、対極に位置しているといえる新しい観光概念。

イギリスのGlasgow Caledonian大学のジョン・レノン教授とマルコム・フォーリー教授の“Dark Tourism: The Attraction of Death and Disaster”という書籍を通して、初めて世界に発信されたよ。
戦争や災害をはじめとした、人類の死や悲しみの記憶をめぐる旅として定義されるのがダークツーリズム。
日本でいうなら原爆ドームや福島第一原子力発電所など。主たる観光対象としていますが、ちょっと、不謹慎に見えますよね。
というか、どう見ても歴史の闇をほじくり回して楽しむ活動にも見えてしまいます。
でも、歴史的出来事や地域には必ず光と闇の二つがあり、その闇があるからこそ光がある。
従来の観光では無視されがちな地域の負の側面も、丁寧かつ真摯に向き合ってみれば、その地域の魅力を向上させるものとなり、訪れる人に学びを与えることができます。
地域の悲しみの記憶は隠すべき対象ではなく、むしろ生き方の覚醒や社会を見直す気づきを与える価値を持っています。
ダークツーリズムは、地域に新たな魅力を見出すための「チャンス」となるのです。
日本におけるダークツーリズムの歴史
日本でのダークツーリズムの歴史はどうでしょう?
例として、第二次世界大戦。
日本は欧米と闘いながらも、アジア戦線においては中国大陸への侵略戦争をしました。
アジアからすれば「加害者」ですが、世界的に見れば原爆を落とされているので「被害者」です。広島の原爆ドームも、戦争の被害者として平和を讃えています。
でも、戦争の加害者としての側面を反省する記念館は、日本にどれだけあるでしょうか。
近年の事例でいえば、福島第一原子力発電所の事故。この実態は事件を速やかに収束できなかった、日本政府による人災という側面も持ち合わせています。
そんな中「がんばろう日本」や「行くぜ、東北」というフレーズが一時期流行りましたが、これは「なぜ事故が起きたか」ではなく、「とりあえず事故が起きちゃったけど、ポジティブに行こう!」という考え方が一般社会に浸透しました。
でもこれって、臭い物に蓋をするような形で過去に向き合っているわけです。

ポジティブシンキングは重要だけど、そこで終わってしまったら犠牲者の遺族があまりにも無念だよね。「なぜ」そして「次はどうするか」が重要だとねこじまは考えるよ。
海外におけるダークツーリズムの事例
ダークツーリズムスポットはいくつもあるのですが、その中でも特に有名なものを紹介します。
チェルノブイリ原子力発電所(ウクライナ)
1986年、チェルノブイリ原子力発電所4号炉のメルトダウンにより、プリピャチの市民と周辺地域の市民数十万人がが強制移住を余儀なくさせられた。
原子炉の暴走を食い止めるために、消防士や職員の多くが派遣され、命を落としました。IAEA公式見解では死亡者の数は約4000人に登ると発表しています。

ねこじまもツアーで行ったことがあって、完全に無人化してしまったゴーストタウン「プリピャチ」を周り、原子力発電所の目の前まで行ったよ。詳しくは下記を!

アウシュビッツ(ポーランド)
正式名称「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが推進していた絶滅政策(ホロコースト)により、最大級の犠牲者を出した場所。
収容されていたのはユダヤ人だけでなく、共産主義者や、同性愛者も送還されていました。
犠牲者の数は諸説ありますが、現在では150万人程度と言われています。
グラウンド・ゼロ(アメリカ合衆国)
かの有名なアメリカ同時多発テロ事件(911)の事故現場。
英語で「Ground Zero」は爆心地を意味しますが、テロの標的となったニューヨークのワールドトレードセンターの倒壊した跡地が、広島の原爆爆心地を連想させるとして、グランド・ゼロという名称が定着しました。
死者は2996人、負傷者は6000人。「対テロ戦争(War against terrorism)」の起点ともなった重要な事件です。
ダークツーリズムと「観光」 まとめ
いかがでしたでしょうか?
ダークツーリズムといっても一概に「不謹慎だ!」と片付けてしまうのも、思考が止まってる状態になってしまいます。
なぜその事件が起き、誰が責任を取り、次は何をすれば防げるのか。有名な観光スポットを巡る観光もとても楽しいですが、たまにはダークツーリズムスポットも訪れて「楽しい×負の学び」をしてみるのもいいかもしれませんね!
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